〒879-0613 大分県豊後高田市小田原140-66
お電話:0978-25-4225 / 駐車場:50台
■西叡山高山寺の歴史と今後の展望

西叡山高山寺は、養老二年(718年)宇佐八幡の化身と言われる「仁聞菩薩」によって、高山養老寺として開山された六郷満山の本山本寺である。応保二年(1162年)本家職を比叡山延暦寺に寄進して西叡山高山寺となり、天台宗総本山比叡山延暦寺、東京は上野の山を守護する東叡山寛永寺と並び、日本の三叡山として隆盛を極めた。往時には四十五の末寺末坊を配下に置き、学僧の養成所である六郷満山の灌頂所となり、西の比叡山として常時百名を超える僧侶が学問修行をする大寺院であった。その後時代は移り、大友宗麟を始めとする戦国大名による神社仏閣の破壊、さらには江戸時代初期に起きた火災(西叡山の隆盛を妬む比叡山から送り込まれた尼僧の放火によるものとの伝説もある)によって本堂を含む山内総ての堂宇を焼失し、以後「幻の寺」と呼ばれ歴史の表舞台から姿を消した。

昭和になってようやく西の比叡山復興の機運が高まり、昭和十年石原巡仁師によって仮本堂を建立し、創建時のご本尊であった“薬師如来坐像”をお迎えした。現在の本堂は国東市出身で法曹界の重鎮であった中野峯夫氏の発願を受け、志を一つにする地元有志の尽力によって昭和五十九年に完成したものである。

もとより比叡山延暦寺、東叡山寛永寺は、それぞれ時の政権の北東に位置し、その鬼門を
守り鎮護国家を祈念する祈願道場として現在まで続いている。数々の苦難の歴史があったとは言え、その意味では西叡山高山寺も九州の鬼門を守り、この地に入る災いを抑えるという重要な任を担った寺院である。この任を後世に引き継ぐとともに、釈尊の説いた仏教を今の時代に継承する事が、西叡山高山寺の使命であると考えている。




■檀信徒会館と庫裏の建立について

現在当寺の居住空間は、本堂内にある四畳半の和室と三畳の仮台所だけで、収納スペースは二間の押入れのみとなっている。また庫裏の無い当寺には、現在もトイレや風呂が無い状態である。また信者数が200軒を超え、年々10~20%参拝者が増加している今、寺の催事などで150名以上の接待をしなければならない現状では、今ある施設だけでは既に限界をこえている。何より歴史と伝統のあるこの寺を後世に伝え、その法灯を守る為には後継者を招く必要があり、現在の施設で後を継ぐ僧侶はいないであろう。
以上の理由を持って、一階部分に居住空間を備え、二階部分の檀信徒の供養や催し物の際に、参拝客を接待するスペースを兼ね備えた檀信徒会館の建立が必要となってくる。




■西叡廟(納骨堂)の建立について

科学の発達と共に人々の宗教離れが問題となり、少子高齢化が急速に進む現代社会。同時に供養の方法も、過去の因習にこだわらず、家族葬や自然葬等さまざまに変化し多様化している。その一方で先祖より受け継いできた墓所の後継者問題や、自身の葬儀や入るべき墓などに不安を抱える人が増えているのも事実である。
もとより先祖の墓や霊魂は忌むべきものではなく、今を生きる私達に秩序と安らぎを与えてくれるものである。時代とともに形が変わったとしても、死者に対する尊厳と畏敬の念さえ忘れなければ、その形は今の時代に即したもので良いと考え、ピラミッド型の西叡廟の建立を発願した。ピラミッドは古代の王族の墓であると同時に、霊魂を宇宙に導くために作られたものである。また釈尊の説く仏法に於いても宇宙の真理に即したパワーと安定を象徴した、最もシンプルで美しい形でもある。さらに西叡廟では三十三回忌または五十回忌を過ぎたお骨は、摂理に従って土に還すため土中に埋める事としている。これによって後継者問題と将来的な不安を解決する事ができると考えている。






■建立資金の調達方法

1)檀信徒会館建立の為に一般信者より浄財勧募。
2)天井画作成による浄財観募。
本堂及び両側二部屋も格天井(256枚)に、”宇宙と命“をテーマとした天井画を作成し浄財を勧募する。
天井画は原則として一枠5万円以上で浄財を募る。浄財を寄進して頂いた方には、天井画
の裏にお名前を記し、その功徳に対して家紋繁栄と開運長久を永遠に祈念する。
※「一の間」宇宙の誕生(八畳) / 「二の間」宇宙の成長(十二畳) / 「三の間」命の惑星の誕生(十二畳)
3)西叡廟と檀信徒会館二階の供養壇販売による浄財観募。
お骨1躰に対して10~15万円で販売予定。
10万円(税別)お骨のみお預かり
15万円(税別)お骨一躰と位牌(当山オリジナル)を会館二階の供養壇にお祀りする
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